松林山安楽院明鏡寺は、神奈川県の川崎市、高津区の小高台にある歴史のあるお寺です。室町期に僧、実海によって建立されました。川崎市末長の杉山神社の別当寺としておかれていましたが、お寺の本寺深大寺学術総合調査報告書によると開基不詳です。昭和20年に川崎市の戦災空襲により本堂客堂殿等建物を焼失していますが、壇信徒により平成7年に再建されたと完成記念碑に記しています。
川崎市の明鏡寺は、天台宗のお寺で、比叡山延暦寺を総本山としています。かつて古今集で「向かいの丘」と呼ばれたといわれるこの地域には、天台宗のお寺が数多くあります。その昔、最澄や天台宗の僧が伝道したからではないかといわれています。焼失を乗り越え、川崎市の地域の檀信者に支えられ、ここまで歩んできました。
お寺には、阿弥陀如来を本尊としておまつりしています。すべての生を持つものは仏様になる可能性があると教えている法華経を中心に釈迦如来、阿弥陀如来、観世音菩薩などの仏様を等しく崇めています。
お寺では年中行事として、4月の上旬の日曜日には、地蔵まつり、水子供養、はなまつりが行われています。6月の第一土曜日は、大施餓鬼会が行われています。境内には、先祖供養のための三重塔、水子供養の水子地蔵尊、観世音菩薩があります。
また、明鏡寺には「松林会館」という葬儀斎場を併設しています。式場内は最大で70人が着席でき、川崎市の民間の葬儀会場として、少人数の家族葬はもちろん、お通夜からお葬式まで行うことができます。近隣のかたに多く利用されています。
遠く多摩川を望む緑豊かな高台、川崎市高津区末長。
静かな環境の中に明鏡寺はあります。
竹林を吹き抜けてきた風に、本堂の軒下の鐘がカラカラとなっています。
お寺のシンボルともいえる平和観音像、三重の塔が迎えてくれました。
「新編武蔵風土記」には、『寛永5年7月13日慶了法師』と刻む寺僧歴代の碑があり、この方が開山と思われます。
また深大寺の資料には、比叡山延暦寺を総本山に、深大寺の末寺として開山され、実海法師は中興の祖とされています。
その経典は、朝題目の夕念仏と称され、朝は法華経(妙法蓮華経)による儀式を行い、夕方が阿弥陀経を読んで念仏を唱えます。
明鏡寺のご本尊は阿弥陀如来です。ほかに不動明王、大日如来を堂内に、六地蔵尊、水子地蔵尊を境内に安置しています。
川崎市には、歴史が多く残っています。明鏡寺以外にも、川崎市には天台宗のお寺がとても多く残っているのです。妙法寺、西福寺、龍台寺、延命寺、能満寺、養福寺、増福寺、少し数えただけでもこれだけのお寺が集まっています。なぜ、川崎市には天台宗のお寺がこんなにたくさんあるのでしょう。それは、かつてこの川崎市橘地区には、古東海道である東山道小高駅があったからだと考えられています。伝教大師の最澄をはじめ、天台宗のたくさんの僧侶が川崎市を訪れて伝道に力を入れていたようです。お寺が多いのは、そういった歴史的背景があるからでしょう。
川崎市に数多くある天台宗の歴史は古く、中国の浙江省天台県にある天台山から始まります。中国隋代に智顗(ちぎ)が天台山を修業の地とし、弟子の養成に努めた後に天台宗を確立させました。そして、その天台宗を日本に伝えたのが最澄でした。
宗旨:天台宗
総本山:比叡山延暦寺(滋賀県大津市)
開宗
中国の天台大師が釈尊の教えのうち最もすぐれた法華経を中心として天台宗を開き、その後伝教大師がかの国に渡って、法華経の教えのほかに、禅法、密教、戒法等を合わせ伝えて、延暦二十五年一月二十六日(西暦八〇六年)日本天台宗を開かれ、念仏等の教えがそれに加わって日本仏教の根源となった宗旨である。
本尊
天台宗の寺の本尊は、釈迦、弥陀、薬師など種々あるが、いずれも法華経の久遠の釈迦と同一体であるから、縁に従ってこれらの仏菩薩を尊信する。
教義
私どもは仏の子で、立派な仏性をそなえているが、迷いの心からいろいろな悩みにおちいり、楽しいはずの人生を苦しみのうちにすごすことになるのであるから、一日も早く仏の道を身につけ、お互いに助け合い、平和な世の中をつくらなければならない。それには深い信仰と正しい生活によって、社会のために尽し、少しでも善根を積むことを心がけよう。
経典
法華経、阿弥陀経、般若心経、円頓章等の経典を読誦する
最澄は、天平神護2年、近江の国で生まれました。利発で聡明だった最澄は、幼いころからお寺で修業を続け、38歳の時に遣唐使にしたがって唐に渡っています。そして、天台山で修業をして天台宗の教えを授かったのです。
最澄は日本に帰国してから比叡山延暦寺で天台宗を開創しました。その比叡山では、日本仏教の各宗の祖師が学んでいます。法華経にはすべての人々が仏になることができると説かれており、その教えは今日まで受け継がれています。
伝教大師である最澄はかつて「一隅を照らす」という言葉を天台法華宗年分学生式に残しました。この言葉を現代にも生かしていこうと、1969年から天台宗では一隅を照らす運動をしています。天台宗は、心の豊かさを見失わないよう、毎月4日の伝教大師ご入滅日を一隅を照らす日としています。
仏教は、約2500年前に生まれたお釈迦様の教えです。インドで生まれた初期の仏教が長い時を経て中国へと伝わり、伝来する中で中国的な特徴も入ってきました。日本に伝わる大乗仏教では、仏教の開祖であるお釈迦様の如来が生み出されています。如来とは、本来お釈迦様の名称です。代表的な如来として釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来があり、四如来といわれています。これらの如来は、古くから信仰の対象とされ、川崎市のお寺にも大切におまつりされています。
川崎市の明鏡寺では阿弥陀如来をご本尊としておまつりしています。阿弥陀如来は、西方極楽浄土の中心にいる仏様です。阿弥陀如来は多くの宗派に尊崇されており、日本のお寺で一番多くまつられています。
どのような人でも心から極楽浄土に行きたいと願って念仏を唱えれば、必ず浄土に行けるというのが阿弥陀の本願です。極楽浄土は阿弥陀如来が住んでいる世界で、経典には黄金や宝石でできており、良い花の香りに満ち、美しい音楽が流れ、といった美しい様子が描かれています。そのため、極楽浄土に成仏したいという考えから、川崎市のお寺にも阿弥陀如来像が多くまつられるようになり、現在も広く多く信仰されています。
川崎市高津区には天台宗のお寺が数多くあり、今でも木造や銅像の阿弥陀如来の坐像、阿弥陀如来立像を見ることができます。また川崎市のお寺では、木造、銅像、立像、座像などのたくさんの阿弥陀如来像がまつられています。阿弥陀如来は特徴があまりなく、手の形で見分けることができます。親指とほかの指で丸を作っているのが特徴で、九種類に分かれ特別な意味を表しています。阿弥陀如来像には光背があり、普通の光背の像、船の形や放射線状の線を持つ像が多いといわれています。川崎市のお寺には、阿弥陀如来像が多くまつられていますので、寺院めぐりをされる際には、ぜひ注目してごらんになってみてください。